私がカイロプラクティックを職業に選んだ理由
私も腰痛で苦しんでいました
私は昭和16年(1941年)10月2日に京都府で生を享け、戦後、家族とともに大阪府枚方市に移り住みました。大工の棟梁だった父の仕事、母が営んでいた農業を手伝いながら1950年代後半工業高校を卒業して消防設備を取り扱う日本ドライケミカル株式会社に就職しました。当時は大学(短期含む)まで進学できたのは全体の2割にも満たず、中学卒業後集団就職するいわゆる金の卵がもてはやされた時代です。就職中に様々な免許、資格を取得し、1976年(35歳)に消防設備の点検を主業務とする有限会社を立ち上げました。私は身長が179㎝あり体力には自信がありましたので、昼夜を問わず農業と会社の仕事をこなしていましたが、ある日突如ぎっくり腰になりました。腰に多くの負担をかける仕事を掛け持ちしていた為でしょうか?一日も早く仕事に復帰したかった私は、自宅近くにあったカイロプラクティックの施術所を訪れました。当時はカイロプラクティックという看板を見てもピンと来ず、マッサージ等と同じ類のものだろうという程度の認識でしたが、施術後は驚きの効果があり間もなく完治しました。私が初めてカイロプラクティックと出合ったのはその時です。完治してからは前と変わらぬルーティンワークを続けていましたが、40代半ば(1986年頃)重いものを持った時に脊椎がヌルッという感じでズレたことがはっきりと分かりました。 すぐさま整形外科に行き診察を受け、注射と湿布薬を処方してもらいました。 その時医師から「一生治りません」と告げられたことにはかなりの衝撃を受けました。腰痛は日々ひどくなり、便秘に加え手足のひび割れが酷く出るようになりました。仕事も儘ならず(もうこの仕事はできないのか・・・)と半ば諦めかけており、今まで通りのルーティンワークを続けていると一生問題だと思った私は自宅にいながらできる仕事を考えておりました。しかし私が自宅でできる仕事はどのようなものがあるのか?どのような仕事が適切なのか?などを考え、悩んでいました。後にカイロプラクティックを職業とすることになりましたが、その頃の私はカイロプラクティック、按摩、整体のような手技に対してはかなり懐疑的でした。1992年頃、何を見て知ったのか記憶は曖昧ですが桑岡カイロプラクティック研究会に体験入会し、桑岡俊文さんから直接施術を受けました。驚いたことに一度の施術で、整形外科での対症療法では全く改善されなかった腰痛は嘘のようになくなり元の体調を取り戻すことができました。加えて腰の痛みが消えると、便秘、手足のひび割れが日に日に改善していきました。腰痛などに対する原因療法は手技以外にはないと確信したと同時に、桑岡さんであれば正しい技術を教えてくれると感じた私はすぐさま桑岡カイロプラクティック研究会に本入会しました。自分に効果のあったカイロプラクティックを生涯の職業にしようと決めたのはその時です。それからは 解剖学・生理学・神経学 をはじめとする関連書籍を読み漁り、自分の身体で実践できることは全て実践しました。研究会では技術講習などをはじめ入会者同士が互いの身体で施術をしておりました。一定の技術を習得してからは主に親類や近隣の方に無料で施術を行なっており、非常に良い評価を頂きました。桑岡カイロプラクティック研究会には1996年まで通い、1996年12月、短期間ではありますがカイロプラクティック発祥の地であるアメリカに渡り、ロサンゼルス大学の解剖現場で生の人体構造を見て本場の講義を受けました。これは書籍や研究会で得た知識や技術を、本場で見て体験できたのですから大変よい勉強になりました。帰国後の翌年1997年(55歳)に今の萩原脊椎矯正院を開業しました。2019年現在で開業してから22年が経ったことになりますが、現在まで若い方からご年配の方まで男性女性問わず多くのお客様にご利用頂いております。意外なお客様では開業当時から通ってくれている医師の方も複数名おられます。以上、長くなりましたが私がカイロプラクティックを職業に選んだ理由です。
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